二瀬尾根から和名倉山へ

【和名倉山 案内その1】
  和名倉山 二瀬尾根ルート(秩父湖〜和名倉山〜将監峠)

 [昭文社 エアリアマップ 奥秩父1 雲取山・両神山 参照]

 秩父鉄道「三峰口駅」から「秩父湖」行きの西武バスに乗り、終点で下車する。
ここには売店がいくつかあり、車道は右のトンネルへ続いているが、ここはこの売店と車道の間をまっすぐ奥へ行く。ダムの上を歩き対岸へ大洞川沿いに延びる舗装道路をしばらく行く。この道は三峰観光道路へ続いているので、観光バスやマイカーが多く、また冬場は凍りつくので注意する。道路の右側を見ながら歩いて行くと、埼玉大の山寮あらわれる。和名倉山への登山口はここから始まる。この山寮のすぐ左を降りて、左へ少し行き吊橋を渡る。

 吊橋を渡った所は、もう和名倉山の一角である。ここには道標があり、左が行き止まりになっているが、実はここが二瀬尾根の入り口になっている。この行き止まりの左の道を入り、崩れかけた路肩や腐りかけて手入れのされていない丸太を慎重に越えて少し行くと登尾沢にでる。ここには滝が掛かっていて水量も豊富なので、ここで水を汲んで行くとよいだろう。さて、昭和61年版の上記エアリアマップ「奥秩父1」では、この沢沿いに道が描かれているが、これは間違い!実際は沢を通過して斜めに登っていく。

 やがてジグザグに登るようになり、少しで大崩壊地へ出る。ここは秩父湖まで続く大ガレで、ここで落ちたら助からないと思ったほうがいいだろう。ここは、絶対に高巻いて欲しい。高巻いて再び登山道に戻り、しばらく行くと木材運搬用のケーブルの跡が現れる。ここは、登尾沢と和名倉沢支流の石津窪にはさまれた、二瀬尾根の支尾根である。ここで一本取った後、尾根に沿って少し登り、やがて道なりに尾根の左側(南側)に移り緩やかに登って行く。この先で、エアリアにも描かれている最初の作業小屋跡に出る。石津窪の上部で、わずかだが水も取れる。

 ここからは、以前と道が変わってしまったようだ。4、5年前は小屋の先の涸れた沢(石津窪の上部)へ降りて、エアリアに赤い破線(「迷」マーク有)で描かれているように、南に向いジグザグに登って行ったのだが、現在はここで石津窪の上部へ降りずに、右の尾根沿いに登る。しばらく行くと、わりとしっかりしたトラバース道にぶち当たる。和名倉山山頂へ行くには、ここを左へ進む。右へ行けば、二瀬尾根上の電波反射板(下から見える)まで続いているが、もしかしたら、その先に登山道が開かれているかもしれない?(不明)。話が文字どおり(右の)横道にそれたが、トラバース道を左へ進むことにしよう。ここは等高線に沿って道が付いていて、ほとんど登っていない。

 エアリアに「作業小屋の中をぬける」と描かれた、第2の作業小屋跡付近は、古いトロッコの軌道や錆びたワイヤロープなどが散在し、現在はなんとも物悲しい。ここから先は、ほとんどエアリアの赤い破線通りに進む。まず、沢状の所を左上へ登って行くが、ここはなるべく左寄りに登るのがこつである。やがて笹の中に「トンネル」の入り口が現われる。この「トンネル」は背丈以上の「笹のトンネル」で足元は泥でつるつるしているので、笹につかまりながら登っていく。雪のあるころは、笹の葉の上に積もった雪が背中に入り、いやなところだ。

 延々と続く笹地帯を抜けると、北天のタルも近い。右に2ヶ所ほど草地を過ぎると昼なお暗い樹林帯になり、ここを登り、和名倉山の西側へ出る。道が少し下り始めると、山頂への分岐点の「十字路」に出る。ここは地名と違い、三叉路になっていて、右(北)へ下ると将監峠への道、山頂へは左上に登って行く。林の中に微かな踏み跡を拾いながら緩やかに登り、1つ目の草原をトラバースする。エアリアには、ここに水場のマークがあったが、現在は水溜りがあるだけで水は期待できない。この草原を越え、しばらく斜めに登った後、第2の草原にでる。山頂へはこの草原の右上から道が続いている。この草原の一番高いところ(山頂への登山道入口付近)にテントを張る。時間が有れば山頂をピストンしてこよう。山頂へはたった5分程だが、猛烈な倒木帯で、ジャングルジムのように乗り越えて行くと、ひょっこり山頂へ飛び出す。

 深い樹林の中の狭い山頂で、まったく展望がないところがまたいい。再び倒木を越えて、草原の天場へ戻る。明日の朝は晴れれば、左に富士山、前には秩父の主脈縦走路を裏側から眺めることができよう。冬場は後ろの樹林が霧氷できらきら光り、夜は満点の星を望む、この素晴らしい草原にテントを張って、大自然の中で一夜を過ごしてこそ、和名倉山の良さがわかるだろう。