2009.4.30−5.1 爺ヶ岳東尾根

【日 程】2009.4.29夜−5.2
【メンバ】和名倉山の住人、K◇、M24、yosh
【ルート】2009.4.29夜発−梓川PA△(4/29泊)−豊科IC−鹿島−東尾根1770m△(4/30泊)−
     2220m地点(「危」マークの所で引き返し)−木崎湖海の口CS△(5/1泊)−松本IC経由で帰京
【報 告】
 yoshさん運転の車で、4/29 21:40三鷹出発。4/30では平日のため高速割引が効かないので、4/29(祝)のうちに、高速に乗らねばならない。yoshさんは、当日、清里から帰って来たばかりのお疲れのところ、申し訳ないが、夜の高速を走っていただいた。M24君も谷川マチガ沢から直行で、いつもながらのハードスケジュールだ。
 4人乗車しての車中泊は、つらいので、梓川PAまで行って幕営する。私はヘッドランプを忘れた事に気付き、梓川PAのデイリーヤマザキで懐中電灯を購入。あずま屋の下に幕営したが、明け方寒くて、寝ていられなかった。朝食も済ませ出発。豊科ICで降り、大町で左に折れ、鹿島へ。真正面に爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳が見える。
 狩野家(鹿島山荘)で、呼鈴を押すが返事は無いので、ポストに登山計画書提出。車も、畑の前の道路脇に駐車させていただいた旨も書いておく。裏の沢沿いに上がり、堰堤から急登が始まる。崩れやすい砂地の直登で、帰りが滑り落ちないか心配される。
 1476mと1331mの鞍部に登るのかと思いきや、右手の支尾根に上がり、1240m地点に鹿島部落へという標識を見つける。ここから左折して藪尾根を辿る。終始藪の急登が続く。クラッシックルートだけに赤布は多いが、踏み跡が薄いため、所々道を外しては復帰を繰り返し、藪漕ぎを続ける。左手の白沢天狗の方が雪が多いようだが、こちらは殆ど雪なしだった。
 1500m付近から雪が出始めるも、外傾した笹の上に雪が乗っている感じで、安心して雪の上を歩けないので、なるべく藪の中を行き、どうしょうも無い所だけ右手の雪の上をちょっと歩いて、また藪へ登り返す。1630m付近で、傾斜が緩くなると、やっと雪の上を歩く方が多くなる。
 当初の予定では、1978mの先まで行く予定だったが、予想外の藪漕ぎに体力も消耗し、1770m地点で幕営する事に。斜めの雪の斜面は、山側を削っても、まだ谷側が低いので、雪洞の時に雪を積んだテクニックで、銀マットとピッケルで枠を作って雪の堤防を作る。
 1978mまで行けなかったので、明日は鹿島槍は割愛し、爺往復とし、今日はここでのんびりする。冬山と違い、無風快晴の春山は、外でのんびりできるのがうれしい。正面に鹿島槍と爺ヶ岳が大きく迫って、右手には五竜遠見の長大な尾根が横たわっている。風は無いが夜は、テントの縁は寒かった。
 翌朝、この先は厳しそうというyoshさんにテントキーパーをしていただき、3人で出発。もう雪稜をずっと歩けるかと思いきや、いきなり木の枝の間を這い抜けるような感じで、越えて行く。1978m地点は、皆が幕営しているようで、雪の上にテント3張り分位が整地してあった。
 2198mの手前も急斜面で、雪と笹、這松、石楠花の中を登るが、その先、エアリアで危険マークのある2220m地点が雪が木の枝にかろうじて乗っている程度で、右は絶壁、左も木登りでしか行けない様で、ザイルを使っても、帰りもここを通過するのが困難だろうと判断し、ここで引き返す事に。目の前は、白沢天狗とのJPで、そこからは爺まで雪稜が続いているが、最後の景色を楽しんで下山開始。
 天場でお茶を飲んでから、テント撤収し、下り始める。下りは早い早い。赤布も良く見えるので下りの方が、ルートを忠実に辿れる。(といっても、はっきりしたルートではなく、藪が薄くなっている程度だ)鹿島部落の標識から砂地の急下降を足を踏ん張りながら下ったので、足の小指が痛くなった。15時前に鹿島山荘へ下山。呼鈴を押すが留守のようなので、登山計画書に下山と書いて、帰る事に。
 葛温泉仙流閣で入浴700円。その後、車の機動力を活かし木崎湖CSへ。南岸のCSは強風で寒くて湯冷めしてしまいそうで、幕営料も1200円/人と高いので、その先の海の口CSへ。こちらは誰も居なくて、400m先の民家のおじさんが管理しているとの事。話しを聞くと、そのおじさんは、昔し、山岳救助隊をされていたとの事。こちらが山ヤだったからか?料金も安くしてくれた。今日はカラマツのフカフカなクッションの上で温かく寝ることが出来た。
鹿島山荘
藪藪藪

2220m撤退地点
左の木に古いロープがある。その奥の雪は木の上に乗っているだけで、今にも落ちそう。

2220mからのパノラマ、左から爺中央峰、北峰、右奥が鹿島槍ヶ岳

天場1770mからの爺ヶ岳と、鹿島槍ヶ岳