2008.7.17 納沙布岬から北方領土

納沙布岬からは、もっとも近い貝殻島までは、たった3km。
ここは、小さな岩礁だがロシアの灯台が建っている。(写真の右端、海中に建っているように見える。)
花咲漁港から、漁船が出漁するが、すぐ先にはロシアの巡視船がこちらを監視している。
(貝殻島の灯台の手前のひときわ大きい船が監視船。手前の小さな船が漁船)
また、日本の漁船の中で監視役の船が、漁をする船とロシアの監視船の間に入っている。
ここは、まさに、海上の国境の最前線なのだ。



北方四島の最高峰、国後島の爺々岳(チャチャヌプリ)1822m

最後に北方領土についてお勉強を
●1855年日魯通好条約
 ロシアと日本の国境を択捉島とウルップ島の間とし、樺太は両国民混在の地と定めた。
●1875年樺太千島交換条約
 日本は樺太を放棄し、その代わりに千島列島を譲り受ける。ただし、この時の千島列島に、北方四島は含まれていない。 (1855年の条約で、北方四島は、日本のものとされていたから)
●1905年ポーツマス条約
 日露戦争で、南樺太(北緯50度以南)を日本の領土とする。
●1951年サンフランシスコ平和条約
 第二次世界大戦に負けた事により、南樺太と千島列島を放棄。この千島列島に北方四島は含まれていない。また、放棄した千島列島と南樺太は、ソ連に帰属するとは、決められていない。

第二次世界大戦で、ソ連は、昭和16年に締結した日ソ中立条約があったため、中々参戦して来なかったが、終戦直前の昭和20年8月9日に、中立条約を破棄して参戦。終戦後の8月18日から千島列島に進駐。8/29から9/4までに北方四島が占領された。