七跳山から大平山

 長沢背稜の七跳(ななはね、ななっぱね)山へ行って来ました。この山は、縦走路がピークを巻いて付けられているため、いつも素通りしていました。そのたびに、心の何処かに引っ掛かる物が有り、だんだんそれが膨らんで、何か、この山に対して、申し訳けない気がして、今回はその罪滅ぼしのつもりで、行って来ました。従って、コースも、他の山を登るついで七跳に登るのでは無く、七跳山を登るためだけのコースとして、ゴンバ尾根から入ることにしました。

【山 域】 奥多摩・秩父
【日 程】 1996.1.27−28
【コース】 東日原−小川谷林道−ゴンバ尾根−七跳山−大平山△−大ドッケ−五社山−栗山−浦山大橋−浦山ダム−影森
【メンバ】 和名倉山の住人
【天 気】 27(土):微風快晴、28(日):無風快晴、早朝−16℃
【報 告】
 カロー谷の手前で、酉谷山への登山者と分かれてから、一人でトボトボと小川谷林道を歩く。ここの2時間は、本当に長く感じられる。林道は犬麦谷を越えると、急に高度を上げてゆく。2つ程、支尾根を越えると、だだっ広い駐車場にでる。

 ここまでが小川谷林道で、ここから右に折れて、犬麦林道と名前を変えるらしい。左に酉谷山、右に犬麦林道(工事中)の道標がある。始めは、ここから尾根に取り付くのかと思っていたが、奥武蔵・秩父のエアリアを見ると、もう少し先に登り口があるようだ。

 犬麦林道には、ゲートがあり鎖で通行止めにしてあった。この鎖をまたいで、先に進むと次の支尾根の手前に、丸太の階段があり、この階段の上に、マジックで小さく「ゴンバ尾根、七跳山」と書かれていた。

 エアリアでは、灰色の破線だが、結構しっかり踏まれている。はじめは急な、つづら折れの道で、途中で少し細くなってきて、左右に、それらしい踏み跡が分かれている。左は少し先に丸太を3本組んだ様な物が見えたので、作業道かと思い、右の踏み跡をたどって見た。ところが、どうやら、こっちが作業道の様で、途中で消えてしまい、適当に登り易そうな所を選んで、直登する。5分程で、左から登って来る道に出た。

 相変わらず、つづら折れを登ると、右にトタン屋根のある、作業者の休憩所が、見えて来て、ここから少し左に登ると、尾根の上に出た。1342mの少し手前だ。ここから、しばらく平坦になる。平坦な道が終わる頃、左に1本、下り気味の道が分岐していたが、右に[酉谷山>の小さな道標があるので、右の道を行く。すぐに、つづら折れの急登が始まった。

 道の左右は、背丈を超える笹藪だが、この道は、かなり広い幅で、笹が刈られ、とても歩き易い。つづら折れの傾斜が、だんだん緩やかになって来た頃、南に、富士山の頭が見え始めて来た。先日の雪で真っ白になっている。この少し先で、再び左に細い踏み跡が分岐していた。2万5千図では、そっちの道の方が載っているが、私の登って来た、犬麦林道からゴンバ尾根に取り付く道の方が、いい道のようだ。

 再び平坦になると、長沢背稜の縦走路にでた。ここでしばらく休んでいたが、誰も通らない。この長沢背稜は、いつ来ても静かだ。ここから、いよいよ、七跳山に取り付く。始めは、酉谷山の様に、背丈を超える笹の中に踏み跡が付いているが、途中で急に笹がなくなり、右の尾根を登ると、今度は少し背丈の低い笹が出て来る。10分程で、七跳山頂に着いたが、小さなプレートがあっただけで、テントを張るスペースも無いくらいの、笹に囲まれた山頂だった。

 ここから先は、いよいよ赤布の世界で、本当に踏み跡もか細くなる。地形も船窪状になり、左にも尾根が見えるが、ここは、今進んでいる右側の尾根に丁寧に踏み跡を拾って歩く。1620mの小ピーク、1600mの細長いピークまでは、何とか来られた。しかし、ここから、60m下の天目山林道へ下りる所で、踏み跡はなくなった。

 とにかく、少しでも笹の少なそうな所を選んで下りたが、途中で、足が地面に着かない位の、猛烈な笹藪になり、とにかく笹に掴まりながら、下りきった。

 天目山林道に下りてから、本当の道を探したが、見つからなかった。どうやら、七跳山から天目山林道側には、まったく登山道が無いらしい。今、自分が下りて来た所は、最短コースだったが、獣道すらない状態だった。天目山林道から左には、秩父の雄、両神山が大きな姿で横たわっている。

 林道で少し休んだ後、大平山の登りにかかる。良く刈りはらわれた道で、あっと言う間に着いてしまった。この先も、七跳の下りの様に道がなければ、天目山林道を下らなければならないかと思ったが、どうやら道は有りそうだった。北側にちゃんと道が付いているのを確認して、テントを張る。

 テントマットを敷き、ザックを投げ込むと、『ブスッ』と、笹の切り残しが、グランドシートとテントマットを突き破って出てきてしまった。5cm程積もった雪の下は、笹がケンザン状態だったのだ。まあ、これもご愛敬か?

 テントを張り終え、あらためて時計を見ると、まだ2時前だ。が、今日はこの大平山までとする。テントに入ると、コツコツとキツツキが、木をたたいている音だけが響いていた。人の気配は、まったく無い。

 1月28日、無風快晴の朝。気温は−16℃、テントの内側が凍り付いている。1時間半でテントを撤収し出発。歩き出しは、境界見出標に沿って良く刈りはらわれた道が続く。大平山の北端の境界見出標の所で、道が2分するが、ここは右へ。1469mの手前に、朽ちた道標の柱だけ残り、ここから右に道が分岐していたが、まっすぐ進む。1469mの先でも、もう一度分岐があり、今度は左へ。だんだん藪が濃くなって来て、1410mの双こぶを超える。

 ここを下りきると、獣道程度の踏み跡になった。ここは船窪地形になっていて、右にも尾根が見えるが、左側の尾根を進む。もうこの辺は、猛烈な笹藪だ。これを越えて下り始めると、また獣道のような踏み跡が続き、ひとしきり下って、1315mのピークを越える。一旦下って、ちょっと登り返した小ピークに、大ドッケ1315mの標識が付いていた。しかし、感じでは、1315mから、50mばかり下ったジャンクションピークのようだ。

 ここから、ほぼ真北に向かって下りて行く。次の1145m付近から東側が、植林になり、境の歩き易そうな所を歩く。1120m付近は尾根が広く、五社山へ続く尾根の下り口がわからない。コンパスを北北西に合わせて、コンパス頼りにまっすぐ下る。
 この辺も笹藪で、道はあまりはっきりしていないが、下るに連れ、獣道程度の踏み跡が出て来る。

 1040m付近から西側が伐採された所に出て、切られて積み上げられた木をまたぎながら、また、新たに植えられた苗木を踏まない様に注意して下る。1000mを切った辺りで、絶壁で行き止まり、ちょいと戻って、右側の岩の間を縫って下る。再び登り返したピークの先には、石の祠があった。この付近の岩峰が、五社山のようだ。
 この辺は、左右が吹き上げ状の、深い谷になり、なかなかの物だ。

 813.9mの三角点は、エアリア1995年版では、丸山となっているが、これは誤記で、2万5千図の栗山が正解だろう。この先、尾根は更に北に伸び、大久保谷の出合いまで続いているが、エアリアによると、ダム工事のために、この出合い付近の道は通行禁止になっている。従って、この栗山からは、北へ下らず、東の尾根の送電線の鉄塔目がけて下る事にした。

 地形図には、送電線の鉄塔を表わす記号は無いが、送電線が折れ曲がっているので、この尾根に鉄塔がある事が推測できる。送電鉄塔からは、右下の畑に向かって下り、お墓の横を通り、栗山の民家の庭先をかすめて、栗山登山口に下りついた。

 下りついた所は、浦山大橋の手前で、湖底に沈む旧道の代わりに、真新しい立派な舗装道路が、椿森まで続いていた。バスの時刻までは、まだ1時間以上あるので、今までの藪道とは対照的な、このアスファルト道を影森まで歩く事にした。



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